大野敏隆

大野敏隆。俺の中で特別な存在。今までで一番影響を受けた選手。


大野のことを最初に見たのは彼が高校2年生の時。
選手権でたまたま見に行った前橋商の試合に出ていた。
完全に虜。別次元。やわらかなボールタッチ。相手の急所をつくスルーパス
すべての挙動に見とれてしまった。そんな彼が2年後にレイソルに入ってくるなんて。
運命というよりほかない。


さすがに1年目はジャメーリという絶対的な外国人の壁を越えられなかったが、
2年目あたりから、存在感を示すようになる。


大野のプレーで一番好きなのがスルーパス。ボールを持つと常にスルーパスを狙っている。見てる側が出し所がないなと思っても、通しちゃう。
点につながるスルーパスはもちろんだが、サイドの選手に出すそれも圧巻だった。


大学時代に所属したサッカーサークルでは大野に憧れトップ下。10番を志願。
ボールを持ったら、この場面で大野だったらどんなプレーをするんだろうと
常に考えてプレーした。そんなプレースタイルを貫き、「動かない大野」というニックネームを頂戴し、大喜び。少し大野に近づけたかななんて思ってた。


話を大野に戻そう。彼が最も輝いてたのは西野監督時代。
大野をトップ下に固定し、常勝軍団を目指していた。


忘れられないのが99年ナビスコカップ決勝。
大野から始まった攻撃のフィニッシュは大野!
ゴールは難易度の高いものではなかったけど、先制点に狂喜乱舞したのを覚えてる。
あぁ完全に大野のチームになったんだなと。


翌2000年は柏が一番強かった時代。そこでも大野が中心だった。
当時のチームは3バック+下平のベテランがガッチリ守って、
20代前半の若手で攻撃するという形(平山、渡辺光、北嶋ら)。
その攻撃の中心が大野。特に北嶋とのホットラインは見事だった。
自らも得点を決める。ちなみに大野の左足ミドルの精度はピカイチ!
日本平での振り向きざまのミドルは忘れられない。
その年チームは年間勝ち点1位。おかしな制度でチャンピオンシップには
出られなかったが、見に行けば必ず勝つチームの中心にはいつも背番号10がいた。


その翌年にはキャプテンを務め、日本代表候補に選ばれるなど、
順調にキャリアを積んでいた。
こんな時代がいつまでも続くと思っていたのだが…。


監督がブラジル人になってから、出場機会が激減。そしてついに移籍…。
レンタルだったから多少は救われたけど、その時のショックは相当でかかった。
もう戻ってこないと思った。
京都の一員として日立台のピッチに立った時はなんとも言えない思いだった。
その後またしてもレンタル移籍で名古屋へ。
柏戦で見事なスルーパスから決勝点をアシスト!これは本当に嬉しかった。
レイソルファンの自分が相手の得点に喜ぶのは後にも先にもこの時だけであろう。


ただ、名古屋で存在感を示したのはこの試合ぐらいで結局ベンチに座る日々が続いた。
そんな大野に手を差しのべたのが早野。低迷するレイソルの救世主として呼び戻したのだ。当然、すぐにスタメン。が、起用されたポジションはサイドorボランチ
このポジションでは凡庸な選手に成り下がってしまった。そんなのはわかりきっていた。
攻撃で輝く大野を守備に奔走させるなんて。そんな大野は見たくない。
これはレイソルでも出番なくなっちゃうなと思ってたら案の定ベンチにも入らなくなった。


こんな経緯があっての東京V戦。本当に久々のトップ下での先発。
ボールタッチ、パス、ドリブル、キープ力、運動量、どれをとっても一級品!
5年前の大野が帰ってきた!こんな日がくるなんて思ってもみなかったから大感激!
たった1試合の活躍でこんな文章を書くのもどうかと思うけど、
思い入れがフツーじゃないからしょうがない。
入れ替え戦は大野が勝利に導いてくれるだろう。


PS.やっぱり大野には10番が似合ってる。
   14番なんか脱ぎ捨てて来年はぜひ背番号10を!